お前が『ぬるぺた』を見て狂うべき100の理由

「兄さん兄さん……兄さんに会わして下さい。今お帰りになったようです。あのドアの音がそうです。兄さんに会わして下さい……イイエイイエ……あたし狂女きちがいじゃありません……兄さんの妹です。妹です妹です……兄さん兄さん。返事して頂戴……妾です妾です妾です妾です」

 

夢野久作ドグラ・マグラ

 

※この記事には『ぬるぺた』1話(開始2分30秒まで)のネタバレが含まれます。どうしてもネタバレが気になる方は1章「ぬるぺたとは何か」まで読んだら帰ってください。

 

 2019年冬アニメが始まった。今期は『PSYCHO-PASS』3期や『無限の住人』のリメイク、第11回マンガ大賞を受賞した『BEASTARS』などのビックタイトルが目白押しである。きっとこれを読んでいる方々もコツメカワウソのような笑顔*1でアニメを視聴していることだろう。

 

 だが、私はその笑顔が憎い。

 

 アニメを見て正気でいることが憎い。

 

 お前が『ぬるぺた』を見て狂っていないことが憎い。

 

 これは、まだ『ぬるぺた』を見て狂っていないお前を、『ぬるぺた』狂いにするための記事である。

 

 

ぬるぺたとは何か

 『ぬるぺた』をご存じだろうか?『ぬるぺた』とは、ゲームとアニメが連動したオリジナルメディアミックス企画の総称であり、10月からアニメ版の放送が開始した。この記事で取り扱うのは主にアニメ版『ぬるぺた』の方である。以下アニメ版『ぬるぺた』を単に『ぬるぺた』と呼ぶ。

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 さて、今期アニメとして放送が開始した『ぬるぺた』であるが、その存在を知らない方も多いだろう。というのも、地上波ではチバテレビAT-Xでしか放送していないからだ(しかも地上波では途中でカットされるらしい)。

 

 しかし、マイナーアニメだからといって決してクオリティが低いわけではない。製作はかの名門シンエイ動画が手掛け、監督を務めるのは黒執事Ⅱなどの監督として知られる小倉宏文である。また、『ささやくように恋を唄う』の作者である竹嶋えく先生が原案を手掛けたキャラクターが抜群に可愛らしい。

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 そして、なんといっても特筆すべきは(あのアニメ史に残る狂気のヤギアニメ)『ノラと皇女と野良猫ハート』で知られるはと氏が原案・脚本を手掛けたことだろう。氏の狂気を孕んだユーモアは今作でも健在であり、『ぬるぺた』はニコニコ動画でも「みる狂気」として話題になっている。

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 では『ぬるぺた』の魅力はそれだけなのだろうか?

 

アンドロイドは孤独な妹の夢を見るか

 『ブレードランナー』という映画がある。フィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』を原作とする1982年公開のSF映画であり、いわゆる「サイバーパンク」の代表作の一つとして名高い。ネオ・ノワールを基調とする暗く退廃的な近未来のビジュアルが有名だが、同時に人造人間「レプリカント」の生を描くことによって「アンドロイドと人を分ける境界はどこにあるのか」ひいては「人とは何か」という本質的な問いを投げかけた作品としても知られている。

 

 『ぬるぺた』は、この『ブレードランナー』に匹敵する問いを投げかけるSFアニメとしても楽しめるのだ。これを説明するためには『ぬるぺた』のあらすじを知ってもらう必要があるだろう。

 

※以下、1話のネタバレが含まれます。気になる方は『ぬるぺた』1話を視聴してから読んでください。

 

 物語は、姉を亡くした少女「ぬる」が、姉である「ぺた」をロボットとして復活させようとするところから始まる。1話冒頭において、ぬるは「姉の特徴を持つモノ」を手当たり次第に機械に放り込んでいく。

 

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「くせ毛を1本、お姉ちゃんは綺麗な髪」

 

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「チューベローズ*2を1輪、お姉ちゃんはいい匂い」

 

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「ぬいぐるみを1個、お姉ちゃんは柔らかい肌」

 

 ところが、誕生したのは姉とは(それどころか人間にすら)似ても似つかない姿の「ロボット」だった。『フランケンシュタイン*3』の怪物誕生を彷彿とさせるシーンであるが、(ヴィクター・フランケンシュタインが恐怖のあまり逃げ出したのに対して)ぬるは「姉」と再開した感動のあまり涙を流して抱き着こうとする。1話以前のぬるの孤独と苦しみが窺える感動的なシーンだ。

 

 しかし、ここで一つの疑問が湧き上がる。「果たして、このロボットはぺた姉なのだろうか」という疑問だ。この疑問に答えることは、「人の同一性を保証するものは何か」という問いに答えることに他ならない。この問題を理解するためには、17世紀のヨーロッパまで遡る必要がある。舞台は理性と合理主義の時代、ルネサンスだ。

 

コギト・エルゴ・スム

 ルネ・デカルトをご存じだろうか?ルネ・デカルトとは、「コギト・エルゴ・スム(我思う、ゆえに我あり)」で知られるフランスの哲学者である。彼は哲学者であると同時に数学者でもあり、数学の考え方を哲学に応用できないかと考えていた。すなわち、「公理(誰もが正しいと認める命題)から出発し、確実な推論を経て、定理を見つけ出していく」考え方である。そのためには、まず「哲学における公理」を見つけ出す必要がある。この時デカルトが用いたのが「方法的懐疑」である。通常の懐疑が「疑わしい」ものを疑うのに対して、方法的懐疑は「疑いうる」ものを疑う。例えば、数学的真理には一見疑いの余地はないが、方法的懐疑によれば「全能の神に欺かれている」可能性があるため、公理たりえない。しかし、そのように「何かを疑っている自分」だけは確かに存在する。なぜなら、「疑っている自分」を疑った時、「何かを疑っている自分を疑っている自分」が生まれるからである。したがって、「わたしがいること」は公理たりえる。

 

 ここで大事なのは、上記の考えに従えば「考えるわたし」と「物体としての身体」の間には何の共通点もないということだ。ゆえに、「ぺた姉として考える心」と「ロボットの身体」の間には何の関係もなく、さらに「この世界に存在しているのは考える心だけ」であるため、ぺた姉の意識を持つロボットと生前のぺた姉は同一であることが導かれる。

 

 かくしてぬるはぺた姉に再会できたのであった。めでたしめでたし…となれば良かったのだが、話はそう単純ではない。現代の我々が広く信じている「ある仮定」がデカルトの主張に異を唱えるのだ。

 

われはロボット

 現代人の我々が「心(意識)とはどこにあるか」と問われたら、おそらく多くの人は「脳にある」と答えるだろう。これは、「大脳におけるニューロンの電気的な活動に付随して意識が生じる」という仮定に基づいている。この仮定が、現在最も広く支持されている「心脳一元論(心脳同一説)」という考え方(あるいは神話)である。

 

 さて、心脳一元論によれば「心の状態とは、脳の状態そのもののこと」である。したがって、生前のぺた姉の脳をそのまま移植されたわけではないロボットは、ぺた姉の心(意識)を持たない。ゆえに、ぺた姉(ロボ)はぺた姉(人)ではない。

 

 ところが、ここにも問題がある。そう、これではぬるちゃんがめちゃくちゃ可哀想なのだ。ぺた姉(ロボ)がぺた姉(人)ではなく、「お姉ちゃんのような挙動をするただの人形」だとしたら、1話で流した再開の涙は何だったのか。あまりにも辛すぎる。助けてくれ。

 

さあ、気ちがいになりなさい

  以上のように(まだまだ機能主義やロボットの心の問題など論点は尽きないのだが)、『ぬるぺた』は「心身問題」のような哲学的な問いを投げかけると同時に、オタクを狂わせる悲劇性を内包している。さらに、以上の議論に用いたのは1話の情報のみであり、先に進むにしたがって更なる論点が提供されることが約束されているのだ。神アニメか?

 

 だが、ここで何よりも注目したいのは、このアニメが本編5分のショートアニメだということだ。ショートアニメは30分アニメの箸休めとして視聴されることが多い。なぜなら、5分アニメは時間的制約により内容が希薄になることが多いからだ。確かに、5分アニメには語られない部分が多い。しかし、語られない部分が多いということは、それだけ自由に想像力を働かせることができるということだ。想像力を持つ人間にとって、5分アニメには無限の可能性がある。無限の楽しみ方を見つけることができる。100人の人間がいれば100通りの楽しみ方を見つけることができるだろう。

 

 だから、『ぬるぺた』を見よう。

 

 『ぬるぺた』を見て、自分だけの楽しみ方を見つけよう。

 

 『ぬるぺた』を見て、あなただけの「狂うべき理由」を見つけよう。

 

 ニーチェも「5分アニメを見ている時、めっちゃ深い沼もこちらを見ている」と言っているではないか。

 

そしてできれば感想をつぶやいてほしい。飢えて死にそうなので。

 

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*1:わーい!たのしー

*2:チューベローズの花言葉は「危険な関係」。

*3:フランケンシュタイン』は、イギリスの小説家であるメアリー・シェリーが1818年に匿名で出版したゴシック小説である。ところで、よく勘違いされているが、フランケンシュタインは怪物の名前ではなくそれを作った主人公の名前である。